【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

至言に魅力あり!! 藤原和弘さん

『IQ246~華麗なる事件簿~』というドラマがあります。

この作品の主人公は代々当主の知能指数が異常に高い家系に生まれ、そのことが遠因でいずれも早死にするが、とにかく頭が切れることが特徴だという設定の物語です。


第1話 天才貴族が汚れたクリエイターの完全犯罪を突き崩す

 

『銀狼怪奇ファイル』は、IQ220の天才高校生がふたつの人格の入れ替わりにより、奇怪な事件の謎を解きながら、最後の敵に近づいていく物語です。


銀狼怪奇ファイル~二つの頭脳を持つ少年~ビデオ全巻(1~5)セット [VHS]

 

私は試験みたいなものを受けるのが得意ではなく、幼稚園の頃に知能テストを受けた時の記憶は、知らないおじさんと差し向かいで話をする違和感だけが今でも残っており、「何かを考えて答えを出した」という印象よりも「知らない大人の男の人との対人接触」の空気感だけを覚えています。

 

おそらく、高いテスト結果などは得られていないと思うし、その後母からその話を一度も聞かされなかったことを思うと、むしろ点数は平均より低かったのかもしれません。

 

知能テストの作り手や実施者がどんな意図で施したとしても、幼児はまったくそれとは違う捉え方で臨み(問題への取り組みではなく、知らない大人に感じた好悪感情の処理など)結果などはさほどアテにならない気もしています。

 

心理テストなどは、結局のところ解釈者の実力のほうが試されるものであると、個人的には考えており、どれだけ悪いことを言われたとしても、それはそっくりそのまま解釈者のセンスの悪さであるという場合もあると思う。(私自身も20代の頃、心理テストを使いこなせない腹立たしいヤツに出会ったことがある)

 

そんなわけで、知能指数というものの定義はともかく、その正体は全く不明です。

私も「ウルトラマンの知能指数は1万」というトピックをブログネタにしたことがありますが、そこで設定した知能指数の定義は記事のタイトルどおり、『初見プレイのgdgd(グダグダ)防止能力』というふざけた感じで表現しています。


shirobuncho.seesaa.net

 

知能テストでどんな問題が出されるかを私は知らないので、柳田理科雄さんの空想科学読本の知能指数ネタを読んだ時の記憶だけを頼りに、だいたいこんな定義ではないかと、無い知恵を振り絞って考えてみました。

 

問題文に記述された内容と、記述の背後に存在する条件から、設問に応じるための事実認識・計算・推測およびそれらを他者に伝えるための編集を必要に応じて行い、指定された方法に則って答案を作成すること。

 

まあこんなかんじかな(あたまがつかれてかんじかけない)。

 

要は、初めて接する問題文から情報を選り分けて取得し、それらを組合わせて1つの結論を導き出し、対応する、といったようなもので、つまりは「初見プレイ」ではないかと考えたのです。

 

ウルトラマンは、その戦いのほとんどを初見の相手と行うので、あらゆる状況を瞬時に理解して被害を最少限に抑える筋書きを考え、そのとおりに実施することが要求されます。

(よく怪獣をビルに向けて投げ飛ばしていますが、きっと行政や財界から解体を依頼された建設物の破壊が目的だと思います)

 

まあ冗談はさておき、私のこの知能テストの解釈では、情報を捉える能力もそうですが、何よりも大事なのは“編集力”です。

 

捉えた情報の多寡にかかわらず、その情報の編集力によって世の中に打って出られるわけで、そういう能力こそ有力な武器になると考えています。

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かっちゃんさんによる写真ACからの写真

 

元リクルートのスーパーセールスマンで、民間人としては都内初の公立中学校の校長になった藤原和弘さんは、『よのなか科』を引っ提げて教育界に新風を吹き込みました。

 

大変面白い理論をお持ちで、よのなか科の授業に関する父兄の指摘に対し、実にさわやかな回答が出来る方です。

 

父兄サイドの意見・疑問

「この先重要なのは受験用の知識だ。『良い成績を取る子供』に育てたいのに、”よのなか科”なんていう目的不明のことに、わざわざ学校の授業の1コマを使って放置自転車問題を議論させたり、ファーストフード店長になったつもりのビジネス展開などを考えさせるヒマがあるなら、一問でも多く過去問を解かせた方が良いのではないのか?」

 

このもっともな意見に対し藤原さんは

「よのなか科で学ぶうちに、自分の意見を書く能力が高まり小論文に強くなるという効果が出て来る。また、動機づけがされるので時事問題と自分との間にリンクが張れるようになる。試験問題は話題の時事から出題されることが多いので、結局そこで役に立つ」

 

「現代の入試問題というのは、計算やただの情報処理でできる問題は最初に3分の1くらい出るが、残りは情報編集力が求められる問題である。よのなか科で学習すると、社会に対する自分なりのスタンスを持ち、主体的に物事を捉えて考える能力が身に付く。それが情報編集力として、現代の入試においては大いに役立つものとなるのです」

というような意味のことを仰る。

おそらく「ただの情報処理」とは、覚えた知識をそのまま当てはめて出す”暗記もの”のことではないかと思います。 

 

いかがでしょうか?

知能指数だけが高くとも、世の中に対して良識を持ったスタンスで関わり、その中で実力発揮する自分なりの接点を持たないかぎり、その優位性は認められない可能性が高くなるのが現実のようです。

 

そうすると、やはり「初見プレイでのグダグダ防止能力」が、社会の中を生きていくために必要な力であり、藤原さんの仰る情報編集力というものを身に付けるための教育により、知能指数より大事なものが、後付けで身に付けられるようになっていると思うのです。