【感情会計】善意と悪意のバランスシート

善と悪の差し引き感情=幸福度

オブジェクトに魅力あり!! 寝待ちの藤兵衛

ソフトウェアの開発では(技術者でもないくせにわかったような言い方ですが)、頻繁に使う機能の実行プログラムを1つの単位とし、丸ごと使い回すことがあります。

 

その単位を「オブジェクト」と呼び、プログラム認識用に「オブジェクトを宣言する」という言い回しまであるようです。

 

私はVBAを学んだ時にこの事柄に直接接しましたが、はっきり言って概念的にしかわからない。でもとにかく便利な代物らしい。


オブジェクト指向でなぜつくるのか 第2版
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便利機能を小単位でオブジェクト化し、プログラムを「書く」というより「組み合わせる」感じで、きめ細かな作用を持った成果物を作ることができる。

システム開発者には常識といっても良い「オブジェクト指向」ですが、これは小説やドラマなどの創作でも、やや形を変えて存在するのではないでしょうか?

 

「便利なキャラ」という存在です。

 

「竜馬がゆく」を、私は文庫本で読みました。全8巻です。

竜馬が暗殺される第8巻では、襲われた場所にいた従者・藤吉も惨殺されています。

これは史実であって、藤吉さんは実在の人物で、元力士だったそうです。


新装版 竜馬がゆく (8) (文春文庫)
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私の勝手な想像ですが、第1巻からこの作品にずっと顔を出し続ける「寝待ちの藤兵衛」は、その名前からして藤吉からインスパイアされた存在ではないでしょうか。

 

「こういう登場人物が、物語を面白くする」として司馬さんが生み出したこの手のキャラとしては、同じく第1巻で藤兵衛とほぼ同時に登場した、竜馬をつけ狙う「信夫左馬之助」がいます。

 

この二人は、竜馬の行動の中心が政治的活動になるまでの、いわば物語の中だるみ期間を彩る重要な存在でした。

 

幕末の大詰めでは、史実に残る竜馬の行動自体がきらびやかな光彩を帯び、そこまでに作り上げた竜馬のキャラクターに乗せて時代を描くことで、私たち読み手は血沸き肉躍ることになりますが、そこにいたるまでの盛り上げが無くては十分な感情移入ができません。

 

フリがしっかりしているから、オチが光る。

 

非常に地味な作業ですが、フリが重要。

この作品を彩ったフリ担当は実に多士済々です。

 

多くは実在の人物で、かの勝海舟西郷隆盛武市半平太そして千葉貞吉・重太郎・さな子父子、はたまた寺田屋のお登勢さんや竜馬の妻・おりょうにいたるまで、とにかくひとり一人がそのディティールまで魅力的に描かれています。

 

しかしこれらの人々は、実在であるゆえの縛りがあり、特定の時期や事象は必ず史実どおりに行動していなければならない。

フリだからとあまりいじくりまわすと、後の展開で無理な辻褄合わせが必要になってしまうかもしれない。

効き目は強力だが副作用もあり、使用上の注意が必要な存在です。

 

そこへいくと「寝待ちの藤兵衛」「信夫左馬之助」は、実在していないから、徹底的にフリ目的で使える。

そして、物語にきめ細かな機能を持たすことができる。

まさに「オブジェクト指向」と呼ぶにピッタリの特性を持っていました。

 

ただ、用途の幅広さには大きな違いがあり、信夫左馬之助は竜馬を危機に陥らせる機能に特化しているため、使いどころが限定されます。

 

一方、寝待ちの藤兵衛は平時・危地、色事から難事まで、なんでもゴザレな万能キャラ。

「勝海舟に便利さを見込まれ可愛がられた」なんて、回顧談が多く、史実にうるさい歴史通の攻撃にさらされかねないきわどいラインへ踏み込むところまでやってのけました。

 

しかも、一度も登場しない第8巻では「書置きを残して去った」と、その存在感だけを示しつつ、そっと物語を去って、実在しない人物であることを全うした見事な引き際を見せます。 

 

「いや、それなら『福岡のお田鶴さま』だって、立派なオブジェクト指向キャラじゃないか?」

もちろんそのとおりです。

同じく第1巻から登場して物語に花を添えてくれたお田鶴さまは最初から好きですし、京都清水山寧坂の明保野亭でのシーンなどでも、強い印象を残してくれます。

 

ただ私は個人的に、「竜馬がゆく」唯一の、どうしても好きになれないシーンがあり、そこでの主たる登場人物であったことが引っかかってくるので、そこを考えたくない一心で、オブジェクト指向にお田鶴さまを編入できない気持ちがあります。

 

 

とはいえ「竜馬がゆく」は素晴らしい小説でした。